昭和44年06月17日 夜の御理解



(途中から)
 久保山先生が亡くなられてから、間もなくじゃなかったでしょうか。久保山のお母さんからこれを帳面を、信心の色んなあの御理解なんかを書いておくとに、二冊もって見えましたんです。赤と青と。そしてこれになにかどちらにもひとつ、何か一筆書いてくれということだったんですけれども、もうどんなに私なら預かっときましょうというて、預かっとったですけれども。あのうなんち言うでしょうかね、ほんならちょっと書かせて頂こうかという気持ちが起こってこんのですよ。今までも預かっておった。
 今日、めてまたあのう催促受けてから、書かせて頂いたんですけれど、結局「信心の稽古」と一冊書かせてもらって、一冊には「神心」と書かせて頂いたんですけれどね。結局私があの願いとしておるところは、もうそれ以外にはないのです。ですから結局、私の信心をここに書いた訳ですけれども。毎日あの三代金光様のお書き下げである、「信心の稽古」と。今日もその稽古させて頂こうと。
 という事は様々な修行もさる事ですけれども、やはりどのようね問題でも、それを如何に信心で受けていくかということ以外にはないのです。それがあのなら目指すところはどこかというと結局神心です。ですからあのう信心させて頂くものはね。もうすべてのことが、信心の稽古と。もうこれでですねどんな問題がそこにそのう、まぁ行く手をさえぎってもですね、さぁそれによって信心の稽古をさせてもらわなければ、前には進まれんというのが信心です。
 だからそうして進んでいくのですから、和賀心が神に向かうのを信心というのじゃと仰るように神心神心ですね。神心というのじゃと仰るその、そこんところを信心でそれを頂いていく。それを有難いものにして行く。そういう稽古が結局神心へ向かっていくことだとこう思うんですよね。まぁ恐らく二年ぐ、久保山先生が亡くなられて直ぐじゃなかったでしょうかね。
 これそのまま預かったままようやくこういやぁ、さっきこう出来た訳ですけども結局ほんなら書かせて頂いた、何か折角ならいわゆるその良い教え、良い言葉と言った様なものを持って、どうもこうどれっとこう無かったけれども、結局は私のいわゆる、信心の稽古であり神心です。まぁ今日書かせて頂いてから、そんな事を尚更ね。もうこれ以外には無いと思ったんですけれど。
   どうぞ。